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以下の文章は、神戸大学工学部井上善允氏の作られた文章を許可を得て転載したものである。

クレタ人のパラドックスはパラドックスではない

よく知られた、クレタ人のパラドックスと呼ばれているものがある。

これは、クレタ人のエピメンデス(今後Eと書くことにする)が、「クレタ人は嘘つきだ」と言ったというものである。通常、論ぜられているのは、もしEの言った「クレタ人は嘘つきだ」ということが真であると仮定すると、Eはクレタ人であるので、Eの言っている「クレタ人は嘘つきだ」は嘘(偽)となり、クレタ人は嘘つきでないことになる。またEの言った「クレタ人は嘘つきだ」というのが偽であると仮定するとクレタ人は嘘つきでないことになり、Eはクレタ人なので嘘をついていないことになりEの言った「クレタ人は嘘つきだ」というのが真となり、これも仮定に矛盾する。従って、Eの言った「クレタ人は嘘つきだ」というのは真でも偽でもないというものである。(NHKの哲学講座の説明による)これは正しい議論であろうか。

クレタ人Eが「クレタ人は嘘つきだ」と言ったとしよう。「クレタ人は嘘つきだ」ということの解釈は色々考えられるが、概ね、次の4つとして、いいであろう。

さて、aが偽であるとは、真であることを言うことのあるクレタ人がいる。
   bが偽であるとは、真であることばかりを言うクレタ人がいる。
   cが偽であるとは、全てのクレタ人は真であることを言うことがある。
   dが偽であるとは、全てのクレタ人は真であることだけしか言わない。
ということである。

  1. クレタ人がEの他にD(及びDと同じ振舞いをする人々)が居たとしよう(簡単のためEとDだけとしよう)。
    Eの言った「クレタ人は嘘つきだ」が偽(嘘)であり、Dが常に真ばかりを言うとすると a、bの意味 と解釈した場合と何の不都合も起こらない。
    D達が常に偽(嘘)ばかりを言い、「クレタ人は嘘つきだ」を真であるとしても c,dの意味 と解釈した場合は何の不都合も起こらない。
    これらはクレタ人が皆、一言だけしか言わなかったとしても同じである。すなわち、クレタ人のパラドックスがパラドックスであるというのはパラドックスである(パラドックスという言葉が違う意味で用いられていることに注意せよ)。
  2. クレタ人はEだけである(この場合aとc、bとdは同じことになる)普通でない状態を仮定しよう。
    Eが「クレタ人は嘘つきだ」という一言だけしか言わなかったとすると通常言われている通り、これは真でも偽でもない。しかし、Eが「クレタ人は嘘つきだ」の他に何かを言ったとする。
    a、cの意味と解釈した場合「クレタ人は嘘つきだ」という他に「1=1である」と正しいことを言ったとすると、たまたまEが「クレタ人は嘘つきだ」と真でないことを言ったことになり何の不都合も起こらない。
    b、dの意味と解釈した場合「クレタ人は嘘つきだ」という他に「1≠1である」と真でないことを言ったとすると、たまたまEが「クレタ人は嘘つきだ」と真であることを言ったことになりこれも何の不都合も起こらない。